丸1週間の2度と忘れないであろうし、2度と来ることもないであろうトレッキングが終わり、シュリナガルに帰ってきました。
クレジットカードを無理に使おうとして、持っているクレジットカードがすべて止められていました。しかも、所持金は日本円でなんと60円。たとえインドであっても、これでは何もできません。
カードが止まっている場合はお金をニューデリーのインド人から借りれる(はず)という話になっていたので、船上ホテルのおっさんに「彼に電話してくれ。話があるから」と言ってお願いしました。
当然、彼は父親であることを隠したいので、最初はニューデリー男にまったくランダムな電話番号で電話をかけるなどという、安っぽいごまかしをしました。「違う。ちゃんとした番号にかけて」とお願いすると、今度は本当の番号に電話してくれました。
船上ホテルのおっさんは、「彼に電話してくれ」と言うだけで、だれに電話すべきかわかっていました。決定的なことに、そのときの彼の携帯電話の発信先は、彼の携帯電話にちゃんと名前で登録されていました。
本当は、ニューデリーのインド人に電話する理由は、お金を借りるためではなく、本当にこれが詐欺なのだと突き止めたかったからです。どうせお金を借りれないのはわかっていました。
電話で、ニューデリーのインド人は今マレーシアにいるからすぐにはお金を貸せない。ニューデリーに着いたらまた連絡して。なんて言われました。
もうどうでもいい。
さて、これからすることは、一刻も早くカシュミールを脱出して、ニューデリーに戻ってクレジットカードを使えるようにすることです。
所持金60円では当然払える交通費はゼロなので、船上ホテルのおっさんにバスチケットを買ってもらいました。観光客をカシミールから安全に帰さないと、政府の目があるため彼のビジネスも危うくなるようなので、すぐ払ってくれました。
そのバス運賃が、日本円で2500円程度。私が当時どれだけお金を持っていなかったかわかります。
そのバスが出発しました。久々のバスの感覚。懐かしさを感じながら、窓の外を眺めていました。
街のお店は、私が来てから2週間が経った今でも、すべて閉まっていました。
乗っているバスがカシミールとジャンムーの境界に差し掛かるとき、バスが銃を持つインド人(らしき人たち)の数人によって止められました。
と思うと、運転手席周りのガラスががしゃん!がしゃん!と叩き割られました。バス内は騒然とし、山のど真ん中で、バスのジャンムー地方への運行が不可になってしまいました。
私たちは、同じバスに乗って元来た道をたどってカシミールのシュリナガルに戻る人たちと、ニューデリー方面にトラックなどを見つけて進む人たちに分かれることになりました。
私は、シュリナガルに追加料金なしで戻って生き延びる方法を探すか、追加料金を払うかもしれないが、誰かにお金を借りながらニューデリーに戻るかの2択を選ぶ必要に迫られました。
そ
のとき、たまたまオランダ人旅行者がいたおかげで、彼からお金を借りることができました。私が絶望の中、人生をあきらめていたようなとき、彼は短い間なが
らも私に希望を与え、ニューデリーに戻るまでのサポートをしてくれました。
彼がなければ、私は今生きていないかもしれません。
私
たちは、4時間くらいして行きがかりのトラックの後ろに乗せてもらい、ジャンムー駅まで到着することができました。電車のチケットを買ってもらい、駅前で
数百人、いや数千人が川の字になって眠っている中に混ざって、次の早朝になるまで野宿をしました。お金のある人の中には、すぐそばのホテルに泊まる人もい
ました。
そして、電車が発車する時間になり、私たちは電車に乗りました。その間、オランダ人やインド人が電車の中で買ったちょっとしたお菓子を分けてもらえました。
半
日くらいして、とうとうニューデリーに到着しました。バスが途中までしか走らなかったため、リファンドしてもらうためにバス管理局的なところに、オランダ
人と一緒に向かいました。しかし、残念ながらリファンドは住所を指定してそこに1週間以上かかってから届くので、期待外れに終わりました。
そのオランダ人は、最後まで心配してくれていましたが、ニューデリーには友人がいるから大丈夫、などと嘘をついて別れました。
さ
て、その日は金曜日の夜です。インドルピーとしては日本円で60円しか持っていませんでしたが、カバンの中をさぐってみると、タイバーツが6000円分あ
りました。
インドに行く際の乗継地として、タイの空港に着いた際に、カフェで仲良くなった店員さんと日本円とタイバーツを交換していたのでした。
タイバーツがあるので、月曜には銀行に行って交換できそうです。でも、少なくとも金、土、日の3日間を60円で過ごさなければなりません。もちろん、もしものときのために、60円すべてを使い切るわけにもいきません。
私は、なけなしのお金を使って、近くの地下鉄駅からコンノートプレイスに移動しました。
そう、カシミールに行くことになったあの思い出深いコンノートプレイスです。
コンノートプレイスであれば銀行がたくさんあるので、月曜になったらすぐに銀行に行けるだろうという判断からでした。また、ガイドブックなどもあの男の家に置き去りにしてきてますし、そこ以外に心当たりのある場所も思いつきませんでした。
コ
ンノートプレイスでもホテルなどに泊まるお金などはありませんでしたので、ベンチで寝転がって寝ました。今更危険かどうかなんて知りはしません。夜中にな
ると、人がいなくなって犬が群れをなして徘徊しています。狂犬病が流行っている犬に襲われるかなんてのも知りはしません。
ただ、周りに犬がたくさんいるせいか、寝ている間にノミに体中食われるのがちょっときつかったです。
安いクッキーだけ買い、あとは電車の駅に行って空のペットボトルに注いだ水で生きながらえていました。それでも結構きつかった中、日曜の朝にふらふらしていたところ、リクショーの運転手が「乗らないか?」と声をかけてきました。
「乗れないよ。金がまったくないんだ」と答えると、彼は「そうか。いいから乗せてやるよ。朝食を食べよう」と言って、すぐ近くにあるレストランで朝食をおごってくれました。
(インド人にだまされて、インド人に救われるんだな。インドも広いな。)なんて思いました。
そして、とうとう月曜がやってきました。すでにチェックしていた銀行のロケーションに行き、タイバーツをインドルピーに換金することができました。
クレジットカード会社に電話し、また使えるようにすることもできました。
お金が入って最初にしたことは、当然食べること!!
KFCに行って、はきそうになるほど食べまくりました。食べるってこんなに素晴らしいものだったんだなあ。たかがチキンかもしれませんが、私にとって、人生の中で最高においしく満たされる食事でした。
カ
シミール旅行に行く前に考えていた、パキスタン、ネパール、バングラデシュ旅行あたりは、時間と予算の関係上行けなくなってしまいました。
それでも、性懲
りなくアーグラやハイデラバードを旅行し、足を曲げるスペースすらない立ちっぱなしでの真夜中の地獄の電車移動を得て、バンガロールに戻りました。
対策:いざというときに助けてくれる人はいるが、あてにするにはリスクが大きい。お金はやっぱり大事。
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